市場の秩序学

反均衡から複雑系へ

塩沢由典 / 筑摩書房 / 98/04/09

★★★★

カバーする範囲をちゃんと区切ったまっとうな本だが

 1990年に筑摩書房から出版されたものが、ちくま学芸文庫になった本。収められている文章は『エピステーメー』や『現代思想』などの一般雑誌か、『経済セミナー』、『エコノミスト』などの一般経済雑誌に掲載されたもので、執筆時期が1970年代に遡るものもある。

 この本のテーマは、一般均衡論のすっきりした世界にある錯誤を指摘し、経済活動がもっと複雑なものであるということを指摘するということで、裏表紙の紹介文によると、「日本で最初に、書名に「複雑系」を掲げ、現在の複雑系ブームを先導した労作」ということらしい。しかし、この本の特徴は、あくまでもこの複雑さの発生するところを消費者の購買行動の複雑さ(というか、ミクロさとでもいうか)に置いているということである。その意味で、これはいま流行のいわゆる「複雑系」の大雑把な世界とはずいぶんと違った地点にある本である(といっても、いまのいわゆる「複雑系」をよく知らないのだが)。

 とはいいながら、この本の、一般均衡論の批判を扱った、特にスラッファという経済学者の議論をベースにした箇所は難しく、ちゃんと理解できなかった。これはおそらく一般均衡論を大きな克服すべき問題として感じ、ちゃんと理解していないと、切実さがわからない類いの議論なのだろう。門外漢に言わせれば、なんでこんなことが問題になるのかよくわからないのである。だいたい(門外漢なので間違っているかもしれないが)一般均衡論では「広告」なるものがなんで行われるのか説明できないし、「広告」の効果を視野に入れることすらできない。なぜIntelコンパチのチップがIntelほどのシェアを取れないのかが説明できないし、コンパチ・チップのメーカーが工場をたくさん建てないのかが説明できない。門外漢は、最初からその程度のものだと思っています。で、こういう説明が、一般均衡論には「本質的」に接続できない、というのがこの本の著者の主張である。

 著者の考えをおそろしく単純化していえば、問題の原因は、消費者の購買行動に関する非現実的な仮定にある。一般均衡論では、消費者は、一定の予算内で、与えられた購入可能な財のセットを、効用が最大化されるように組み合わせて購入すると仮定される。これによってシステム全体が安定するわけである。しかし、実際の消費者はそんな最大化計算などはしていないのであり、むしろ何らかの行動プログラムを持ってミクロに行動している。このような行動プログラムが可能になるのは、価格のシステムが(ゆらぎはあるにせよ)安定しているからである。つまり、システムの安定性と、プレイヤーの行動の安定性の因果関係が逆だ、というのである。ここから、システムが安定する(著者は定常性と呼んでいる)ための要件として、経済全体がさまざまなサブモジュールにデカップリングされていることなどが出てくる。というか、「緩いカップリングがあること」というわけで、システム全体がのっぺりとした形でつながっている一般均衡論とは別の世界観が出てくる。ところで、著者が「複雑」だと言っているのは、この消費者の行動プログラムのミクロ性のことを指している。消費者は(非常にプリミティブな意味の)「複雑」な世界の中で行動しなければならない、ということである。この複雑さには、いわゆる普通の「複雑」なカオスなどの要因も入っているだろうけれども(著者はストレンジ・アトラクタが価格に射影されてゆらぎが生まれる、みたいな言い方をしていた)、むしろ、情報が多すぎて完全に把握できない、というような意味に理解した方がいいだろう。その意味で、この「複雑系」という言葉はあまり適切ではないのかもしれない(こっちの使い方の方が正統だという感想もあるかもしれないが)。

 個人的には、そんなの当たり前じゃないか、と思ってしまう。別に効用の最大化はNP困難の問題である、とか言ってくれなくても、直感的に明らかだし、だいたい消費者がそんな計算をしていないということは太陽が東から昇るぐらい明らかである。まあしかし、NP困難うんぬんのくだりは、一般均衡論の呪縛がいかに強いかということを示してくれていると考えておこう。

 行動プログラムのくだりは、経済学がここに足を踏み入れたら収拾がつかなくなるのではないだろうかという危惧を抱かせた。これはたしかに「経営学」の「テクニック」として論じられるようなもので、いくつかの戦略を持っているプレイヤーが市場で競争をすると、みたいな話になるのだろうけれども、これを一般均衡論が扱うようなスケールにまで拡大するのは無理なんではないだろうか。むしろ個人的には、この種の「行動プログラム」を可能にする定常性の発生する原因、というものに関心を抱いた。この定常性は、いうまでもなく、行動する主体が情報として得るものである。主体は、行動プログラムを作り上げるにあたって、「定常性」と思われるものと、そこから利益を得るソースとして、あるいは対処しなければならないリスクとしての「ゆらぎ」と思われるものを主体的に認知し、認定するわけだ。これは発見的なプロセスであって、企業家はこのプロセスにおいて差分を取って利益を得る。そういう行動自体が、定常性を作り上げ、またそこにゆらぎを作り出していく、というような因果関係がそこにはあるのだろう。こういう関係がどれだけ定量化されているのか知りたくなった。

1998/5/5

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