電脳社会の日本語

加藤弘一 / 文藝春秋 / 00/03/20

★★★★

かなり細かい解説

 著者は文芸評論家。本書は文字コードを巡る問題にかなり細かいところまで言及している解説書で、初心者が最初に手に取る本としては煩雑にすぎるが、特に文字コードの制定に絡む政治的な動きのリファレンスとして大いに役立ちそうな力作。

 著者は「ほら貝」(http://www.horagai.com/)というwebサイト上で文字コードに関する発言を行ってきた。本書に関するアフター・サービスも行っているようだ。

 いくつかの感慨。

 私は以前と比べると、文字セットとか文字コードの問題にあまり関心が持てなくなった。コンピュータの世界の技術進歩のおかげで、不満なくコンピュータを使えるようになったということなんだと思う。本書の著者は、文字コードの策定は都市計画のようなものだと述べているが、普通の人が都市計画の具体的な内容についてとやかく言わないように、今後もこの領域はますます一般的なコンピュータ・ユーザーから離れた存在となっていくだろう。

 筆者が重視しているように見える多言語編集環境については、特に欧米の言語からかけ離れた言語を日本語と一緒に編集するというニーズがある人はごく少数しかいないはずだし、とうぜんながら私はその一人ではない(ちなみに、その手の言語と比較すると、日本語は欧米の言語に近い言語であり、コンピュータに載せるのも楽だったという指摘にははっとさせられた)。こういう投げやりな態度は、特にWWWの普及によって、「ブラウザ」と「編集環境」がはっきりと区別されたことからも強化されたように思う。もちろん今後はwebページのインタラクティブな操作という方向に進んでいくのだろうが、「ページを"publish"する」という概念はそうとうに強力なもので、大多数のパブリックなサイトのページは今後もこの概念に基づいて作られるに違いない。

 日本語の文字セットについて。考えてみると、私は現在の普通に使われている日本語の文字セットでそんなに不便を感じたことがない。結果的に、(不満は良く聞くが)JISの漢字セットがうまく作られているということなのだろうが、これはもちろん、私の言語活動がJISの漢字セットの範囲に閉じ込められているということでもある。でも、それが窮屈かというと、そういう感じもしない。これはもしかしたら、「Apple IIコンピュータで、日本語の漢字が印刷できたことを喜ぶ」みたいなところを出発点としているからなのかもしれないが、「超漢字」などの試みはoverkillのような気がしてならないのだ。ワード・プロセッサの登場によって、やけに漢字の含有率の多い日本語が増えた、という批判というかグチがあるが、これは漢字と教養と結び付ける立場からすると歓迎すべき傾向のはずである。もちろん、漢字による文章の可読性の向上みたいなものを支持する立場からも。だから上記のようなグチを言う人は、歴史的に見れば、戦後の文部省の方針に則った教育という短期的なスパンの中で文句を言っているということになる。同じようなことが、今後行われると予想される文字セットの拡大に付随して起こるだろうか? つまり、人々は文字セットの拡大に伴って、より多くの種類の漢字を使うようになり、「JIS第2水準に制限しろ」というような意見が反動的な言説として受け止められるようになるだろうか?

 ほら貝。著者のwebサイト

2000/5/14

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