『コリン・マッケンジー』についてのコメント

 もちろん、これは偽ドキュメンタリー(mockumentary)である。あまりネタバレを気にせずに書いているこのレビューで、あえてこの部分を別ファイルにしたのは、次のような理由がある。

 この偽ドキュメンタリーは、ニュージーランドの国営放送かそれに準ずるようなTV局(TV1)で、ニュージーランドの映画とTV番組を扱った数週間にわたる「フェスティバル」の最後の週に、本物のドキュメンタリーとして放送されたものである。このあたりの事情については、IMDBのユーザー・コメントにニュージーランド人が2、3人ほど感想を寄せているので参考にされたい。これらのコメントによると、この偽ドキュメンタリーはTV雑誌の紹介記事とも連係して、ニュージーランド国民を一夜だけ本気で騙すことを目的としていた(翌日の新聞でこれが嘘であることが発表された)。つまりこの映画は、より大きな「パフォーマンス」の構成要素の1つなのであり、単独の作品として理解するべきものではないのだ。

 私はこのところずっと、なるべく事前の情報を仕入れないまま映画を見るようにしている。しかし、この映画が偽ドキュメンタリーであることはわかっていたので、てっきりこれは『スパイナル・タップ』や『ゼーリグ』といった「コメディ」として作られているものと思い、またそのように見てしまった。そして、この『コリン・マッケンジー』は出来がよくないと思った。最初のうちはけっこう笑えるものの、マッケンジーが死ぬ経緯や、復元された『サロメ』の出来栄え自体があまり感心できないと思ったのだ(あの時期の映画にしては、カメラの、つまりクレーンの動き方が不自然に感じられた)。それに、映画の構成上、比較的長い『サロメ』を最後に持ってきたところなどはスカしていると思った(アンチクライマックス指向だと思ったのだ)。

 もちろん、これが視聴者を騙すために作られた作品だと知ったいま、そうした「出来の悪さ」は違った風に解釈しなくてはならない。しかし、これが嘘であることを知らない状態でこの映画を見たらどう感じたかということは永遠にわからないままであり、そのことが無性に悔しいのだ。もちろんこれはニュージーランド国民の愛国心をくすぐるべく作られた映画でもあるので、日本人の私には微妙なところでわからない部分があるはずなんだが、世界初の音声付き劇映画がカンフー映画だったという話などは全世界的に興奮できるエピソードである。

 私の『コリン・マッケンジー』体験は、BBCのエイプリール・フール番組『第3の選択』の日本のTVでの放映とちょうど逆の形をとったことになる。そういえば『第3の選択』の日本での放映時には最後のクレジットの部分が省略されたが、この映画のクレジットにはコリン・マッケンジーの妻の名前が出ていた。

 まあそういうわけで、こんなこと可能かどうかはわからないが、この映画は、これが偽ドキュメンタリーであるという知識なしに見るのが望ましい。なんだったら、予備知識のない友人をだまして映画館に連れていくなり、ビデオを見せるなりすれば、きっと感謝されると思う。そういう幸運に恵まれなかった私は、この映画は偽ドキュメンタリーとして中途半端な出来栄えだと評価せざるをえない。一回限りのネタの残存物という感じなのだ。

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